18年前の今日

1995年1月17日、私は医学部の6回生でした。医師国家試験まであと2カ月程の時期でした。恥ずかしいことですがその時は向学心に燃えてというより、もし不合格だったらどうしようという恐怖心を紛らわすために一番有効だったのが勉強をすることだったので、朝から晩までというか、朝なのか夜なのかわからないぐらい一日中試験のための勉強をしていました。地震が発生したのは、丁度疲れてベッドに上がった瞬間でした。凄まじい音がして、そのあと木造住宅の2階はミシミシと大きく揺れて、重たい本棚が私がついさっきまで勉強していた場所に倒れてきました。本棚は壊れましたが幸い怪我をすることもなく無事でした。被災地では非常に多くの方が亡くなられました。大切な人や物を失われた方がおられるなかで、私などが震災のことを語るのは止めておこうとずっと思っていたのですが、先日私の同僚が臨床精神医学という雑誌に投稿した論文をあらためてよんで少し気持ちが変わりました。論文の内容は、東日本大震災における大阪医科大学神経精神医学教室の支援活動報告なのですが、それは被災地の避難所などで被災者のこころのケアをするといったものではなく、被災地に近い精神科病院に出向いて昼夜問わず働いている現地の医師のかわりに夜勤、当直などのお手伝いをするといった内容です。最前線ではなく後方支援という地味な活動ですので現地に出向いた精神科医、臨床心理士たちからは本当に自分たちの活動が誰かの役にたっているのだろうか、ひょっとしたらかえって迷惑をかけてしまっているんじゃないかなどという不安な気持ちが当時の活動報告にかかれていました。当時医局長をしていた私などは一度も現地にいかないままでした。まだ余震が続く中、現地にいってくれたスタッフの安全を祈願することと、こちらで彼らがやり残したことをカバーするのが私たち残ったスタッフの仕事でした。後方支援のさらに後方支援といった感じです。ただ今回私たちの活動が論文になることによって、私たちが行った活動が少し認めていただけたような気持ちになりました。私たちは決して大したことはできないけれど、それでも良いと思っていることを頭の中で考えているだけでなく出来る範囲でやっていこうよというメッセージとして伝えることができたのではないかと考えるように変わってきました。18年前の私は、たまたま助かったにすぎません。もう少し震源に近かったら当時の木造住宅は倒壊していただろうし、もう少し頑張って勉強をつづけていたら本棚の下敷きになっていたことでしょう。周囲の人があれだけ大変なめにあっているのに当時の私には何もできませんでした。18年たった今の私にも大したことはできませんが、地味に出来る範囲で頭で考えたことを行動に移していこうと思います。ブログに書くのもその活動のひとつです。

 私のブログは長すぎる、スマートフォンで読むのはつらいというお叱りをうけますが、今日は私にとっても皆さんにとっても特別な日ですのでお許し下さい。